皆様には、日頃より本事業団をご支援いただいておりますことに、御礼申し上げます。
本事業団は昭和42年の東京都知事による設立許可以来、50年以上にわたって多くの医療機関への血液及び血液製剤の供給を通じて、「患者様の生命を守る」という設立時からの使命を果たしております。
我が国の血液事業は、厚生労働省、日本赤十字社をはじめとする関係各位のご尽力により、売血から献血へ、保存血液から成分製剤へと大きく変化し、現代の医療制度の進化を支えてまいりました。これには献血制度の普及、発展そして供給制度及び供給技術の進歩が不可欠であり、本事業団がその発展に参画できましたことは、本事業団全役職員にとりまして大きな誇りになっております。
また、平成9年9月に東京臍帯血バンクを立ち上げ、白血病などの血液疾患の患者様の治療にも貢献してきました。東京臍帯血バンクは平成26年3月をもってその役割を終え、日本赤十字社に業務移管することになりましたが、多くのボランティアの方々のご協力とお母さんと赤ちゃんの臍帯血に支えていただくことで、多くの患者さんを救い、臍帯血バンク事業の発展の礎を築けたことに心から感謝申し上げます。
現代社会での様々な技術革新や生活習慣の変化などにより、社会環境が大きく変わりゆく中で、「命の重さ」を守るための不可欠な制度やシステムにも、必要な変化が求められます。日本の献血制度は世界に誇れる唯一無二の制度ですが、これらの公益事業にも効率性や生産性が求められる時代になりました。私たちは「安全」を犠牲にする事なく、様々な変化に対応する供給システムの進化を通じて、我が国の献血制度の維持発展を支えて、患者様のための医療環境の進歩に役立ちたいと考えております。
今後とも皆様のご理解とご支援をお願いいたします。
本事業団は、昭和42年に献血を推進する学生たちと、笹川堯 名誉会長をはじめ日本赤十字社など関係各位が発起人となり設立されました。設立当初は、東京都知事の許可を得て財団法人として発足し、東京都内に渋谷の本部および武蔵野支所の2カ所の供給基地を設け、職員16名、車両8台(うち緊急車両2台)で業務を開始しました。当時の年間血液供給量は16万本でした。
昭和40年代には、すべての輸血用血液が売血から献血へと移行し、昭和50年代には医学の進歩に伴い、成分献血の普及・推進が進められました。しかしながら、昭和60年代には、輸入売血を原料とした血漿分画製剤による薬害エイズ問題が深刻な社会問題となりました。
この反省を踏まえ、国は平成2年に、すべての血漿分画製剤を国内の献血で自給する方針を打ち出し、血液法のもとで完全自給を目指しています。当事業団も、血漿分画製剤の国内自給を目指し、献血製剤の普及促進に一層の努力を重ねております。
設立以来、日本赤十字社に献血された尊い血液を、24時間体制で「安全」「迅速」「的確」に患者さんのもとへお届けすることを使命として、日々の業務に取り組んでまいりました。平成29年には、さらなる供給過誤防止対策と供給効率化を図るため、供給管理システムを開発し、運用を開始しております。
血液事業の発展に伴い、供給体制の整備・拡充を進めてまいりました。現在では5カ所の供給基地・事務所を設置し、緊急車両56台と緊急乗務資格を有する100名以上の職員を配備し、年間血液供給量も約230万単位に達するまでになりました。
今後も、献血血液による血液事業の円滑かつ適正な推進と発展に寄与することを目的に、その責任と使命をしっかりと果たしてまいります。職員一同、より一層の努力を重ねてまいりますので、引き続き、皆様のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。